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帰途に着きながら
飛行機は、苦手だ。
高所恐怖症だから ? いや、昔はそうなんじゃないかと考えたこともあったけれど、例えば山あいに架けられた吊り橋や、あと一歩だけ歩を進めると崖下に真っ逆さまという所に恐れを抱くことはあれど、マンションやビルの高層階にそれを感じることはないし、ジェットコースターやフリーフォールの類の絶叫マシンは好きな方だ。 高い所自体は、むしろ心地良い開放感もあって好きなのかもしれない。
時間の使い方がへたくそだから ? たとえば ANA では搭乗手続きは出発時刻の 15 分前までに、搭乗口へは出発時刻の 10 分前までにということになっているけれど、じゃあそれに間に合うためには空港には出発時刻の何分前に行かなきゃならない ? いやいや空港に到着するまでにどんな不確定要素が起こり得るか分からないから、余裕を持って行くに越したことはない、せめて 1 時間前には行こう。 こうして、最終的には余裕を持ちすぎて手持ち無沙汰になってしまうことが、苦手意識につながっているのかもしれない。 かと言って、空き時間ができないように計算して動こうとしても、本当に間に合うんだろうかと不安になってしまうので結局は空き時間ができるほどの余裕をとってしまうのだけれど。
手持ち無沙汰と言えば機内でだってそうだ。 やれ着席中はシートベルトを締めろ、地上滞在中は電子機器を使うな、飛行中も通信用電波を発する機器は使うな、じゃあ何をしていればいいんだ ! まあ静かに本を読んで研鑽を高めればいいと考えていたけど、うっかりと手荷物預かりにしたバッグの方に本を全て入れてしまったんだよ ! って、それは自業自得だな。
おっとベルト着用サインが消えた。 通信用電波を発しない状態であればパソコンは使えるので、とりあえず原稿のプロットでも書くことにしよう。 しかし、天候が悪かったせいか、ベルト着用サインが消えるまでにだいぶ進んでしまったんじゃないだろうか ? これだと着陸態勢に入るまでの時間はそう長くなさそうだな。
――予想通り、行きの時よりもベルト着用サインが消えていた時間は短かったように思えた。 着陸態勢に入った旨のアナウンスがあったので素早くシャットダウンを行い、片付けをし終わってから数分後にベルト着用サインが再点灯した。 空と雲しか見えなかった窓の外の風景に、見慣れた陸地が映し出される。 「市街地にこんなに近い空港は君の所くらいだよ」 誰かからそう言われた時、そういうものだったのかと思った。 何しろ自分が生まれるよりも先にその空港はその場所にあったわけだし、近い近いと言われてもピンときやしない。
でも。
翼が見える位置の窓側の席に座っていたため、着陸に向けて旋回する際に「おいおい、これって少し角度を間違えたら翼がビルに直撃しやしませんかねお前さん」というような錯覚に襲われる風景が見えた時に、「ああ、いつもはあの辺りを歩いているんだよなあ。ビルの看板もはっきり見えるや」なんてことを考えた。 見慣れた街がこれだけの近さで見えるというのは、確かに近いのだなと思わせるに充分なインパクトだった。 いつもこちらから出迎えていた、そして今回はこちらから会いに行った友達は、いつもこの景色を見ながら帰ってきていたのだろうか。
そう思いを馳せると、ちょっとだけ飛行機が苦手じゃなくなった。 まあ一度のフライトで全く苦手意識が無くなるなんてことはない、回数を重ねて徐々に払拭していかないと。
そうそう、搭乗手続きだ手荷物預かりだ、離陸まではあれを使っちゃいけない離陸してもこれは使っちゃいけないと、何かと制限されていた状況から一変して、空港の駐車場からは自分の車で自分の意思で動き回れる解放感も逆の意味で飛行機ならではかな。 今度帰ってくるときも、遠慮なくいつものようにどの便で帰ってくるのか連絡しておくれ。 今回ジェットコースターだ中華街だと色々と連れ回してもらった分、空港を出た直後からたっぷりと連れ回してやる。

